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クラス後記その2

4月21日のクラスの後に書こうと思っていうるちに、28日のクラスも終わってしまいました。

前回は主にジェンベについて書いたので、今回はドゥンドゥンについて。
まず、21日のクラスの後に感じたことを、ひとつ。
あの日は、サポートをしながら、うるさいほどの(笑)合奏に、なんとなく感動していました。

2005年にマリから帰ってきた時には、カソンケ・ドゥンドゥンのソロフレーズをたたける日本人は、私の知る限りではたった一人でした。私が勝手に弟とよんでいるA君です。

ところが、今やこれだけの人たち(たとえ10人に満たなくとも、1人に比べたら相当なものです)がカソンケのソロを習い、「じゃあたたいてみて」というダラマンの言葉に応えてたたけるほど(もちろんすべてではありませんが)になっている、という事実に感慨ひとしおだったのです。

かく言う私自身は、ソロフレーズはたたけません。マリ滞在中も、ずっと伴奏だけを習い、練習してきました。
その間、多くの人(ヨーロッパの人、日本の人などなど)がマリへやって来て、一週間くらいのうちに何曲かのソロフレーズを教わり、録音して帰って行くのをみました。私にとってはそれは不思議な光景でした。

なぜなら、カソンケ・ドゥンドゥンのソロフレーズは、どんな時にも揺るぎない伴奏ができるようになって初めてたどり着けるものだ、と思っていたからです。
師匠が「じゃあ今日からお前にソロを教えよう」と言わない限り、教われるものだとは思っていなかったのです。

ピアノでもヴァイオリンでも(両方習ったことありませんが)、お茶でもお花でも(両方習ったことあります)、基礎があって、それぞれに段階があって、そのそれぞれに師匠が「よし」を出さない限り、次の段階へ進めない。それが普通だと思っていたのです。だから自分から「ソロをおしえて欲しい」とは言いませんでしたし、そう思いもしませんでした。「揺るぎない伴奏」ができているとは到底思えなかったからです。

それで結局「ソロフレーズまでたどり着け」なかったんですね。
いまだに伴奏は揺らいでいて、クラスの参加者のみなさんにはご迷惑をおかけしています。

ところで、もちろん、クラスではその日のうちに伴奏からソロフレーズへと移ります。
このペースについて行ける参加者のみなさんは本当にすばらしいと感心します。

さらにもちろん、全くの初心者が参加してこのペースについて行けなかったとしても、それは全然あたりまえで、その場合にはある程度安定するまで伴奏を続ける、という方法がとられます。

「カソンケ・ドゥンドゥンは難しいから(はじめるのをためらう)」と言われるのをよく耳にします。
確かに難しいです。でもそれには「あらゆる芸事が難しいのと同様に」という枕詞がつきます。

ダラマンがよく言うのは「やる気さえあれば、どんな楽器でもいつかはできるようになる。ただしよく練習すること。そしてあせらないこと」。

私がダラマンの太鼓のクラスを「ワークショップ」と言わずにあえて「クラス」と言っているのは、この集まりがただ単に「一緒にたたいて楽しみましょう」ではない、と思っているからです。
もちろん「一緒にたたいて楽しむ」も含まれていますが、彼と過ごす時間の中には「学び取れる何か」が必ずある。それは必ずしも言葉にできる「何か」ではない場合も多いのです。

なんだか長くなってしまったので、一旦ここで切ることにします。。。

(文責:ジャバテミネコ)