カテゴリ:クラス後記( 3 )

5月5日、連休の終わり際、様々なイベントがあったことでしょうに、地味な(笑)クラスへ参加していただいた方々には感謝いたします。

最近ふと考えたのは、ダラマン・ジャバテが日本で太鼓のクラスをやる意義ってなんだろう、ということです。

巷(特に東京)には、ジェンベを教える人が溢れています(カソンケ・ドゥンドゥンを教えられるのは現在のところ日本ではダラマンだけですので、脇においておきます)。

日本人、アフリカ人(という人種はいませんが)、様々な経歴の人々が、それぞれのやり方でそれぞれの目的を持って、クラスやワークショップを開いています。

参加者についても様々ですが、大きく二つのタイプに別れるような気がします。

ひとつは、技術的なことを教わりたい、という人々。
自ら意識しているにせよしていないにせよ、例えば、たくさんのリズムのパターンやフレーズを知りたい、音色のたたき分け方をマスターしたい、かっこいいたたき方を身に付けたい、うまくたたけるようになりたい、などなど、ジェンベの奏法や演奏することそのものに感心がある人たちです。

もうひとつは、ジェンベを包含する文化に興味を持つ人々。
たたくことにはもちろん興味がある、けれどもその根源にあるもの、またはその背景などに興味の範囲が広がっていき、それらについて知りたい、と思っている人たちです。

どちらがいいとか悪いとか、ここでそういうことをいうつもりはありません。

最初の話に戻りますが、ダラマンが日本で太鼓クラスを開く意義はまさにここにあるのではないかと思ったのです。

ジェンベの先生は日本にたくさんいます。しかし、この二つのタイプの要求双方に応えられる人は、そう多くはないのではないかと想像します。

「音楽の国」ともいわれる西アフリカのマリにジェリ(グリオ)として生まれ、幼少の頃から30年以上太鼓を叩いて来て(この「叩く」は例えば「一日に二時間叩く」、というような話ではありません)、いわば太鼓で生きて来た、太鼓に生かされて来たダラマンは、数少ないそのうちの一人と言っていいのではないかと思います。

ダラマンは、技術的なことにしても文化的なことにしても引き出しの数が多く、たいていの質問には答えが返ってきます。もちろん、答えられない質問もありますし、本人はいつも「自分はまだ生徒(弟子)だ」と言っています。その言葉に違わず、日本でも、自分のクラスに参加して下さる方々から、多くのことを学び取っているのだろうと思います。

内陸国であるためか、あるいはそこに暮らす人々の精神性ゆえか、マリの伝統的な音楽は連綿と受け継がれているように見受けられます。

例えば…と、この話は長くなりそうなので、別の機会に譲ることにして、その「伝統」を特に「守らなければ」と意識しているわけではなく、まず第一にそれが「好き」で学んで来たダラマンには、「伝統」がまさに「身に付いている」ように見えます。

なおかつ、それ(伝統)だけではないということは、「まだ生徒だ」という彼の言葉に集約されているような気がします。

なんだか論点がずれてきてしまいました。まあ、とにかく、一度クラスに来てもらえれば、なんとなく分かってもらえるんじゃないかと思うのですが…。ちょっとほめ過ぎたかもしれませんね(笑)。

(文責:ジャバテミネコ)
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4月21日のクラスの後に書こうと思っていうるちに、28日のクラスも終わってしまいました。

前回は主にジェンベについて書いたので、今回はドゥンドゥンについて。
まず、21日のクラスの後に感じたことを、ひとつ。
あの日は、サポートをしながら、うるさいほどの(笑)合奏に、なんとなく感動していました。

2005年にマリから帰ってきた時には、カソンケ・ドゥンドゥンのソロフレーズをたたける日本人は、私の知る限りではたった一人でした。私が勝手に弟とよんでいるA君です。

ところが、今やこれだけの人たち(たとえ10人に満たなくとも、1人に比べたら相当なものです)がカソンケのソロを習い、「じゃあたたいてみて」というダラマンの言葉に応えてたたけるほど(もちろんすべてではありませんが)になっている、という事実に感慨ひとしおだったのです。

かく言う私自身は、ソロフレーズはたたけません。マリ滞在中も、ずっと伴奏だけを習い、練習してきました。
その間、多くの人(ヨーロッパの人、日本の人などなど)がマリへやって来て、一週間くらいのうちに何曲かのソロフレーズを教わり、録音して帰って行くのをみました。私にとってはそれは不思議な光景でした。

なぜなら、カソンケ・ドゥンドゥンのソロフレーズは、どんな時にも揺るぎない伴奏ができるようになって初めてたどり着けるものだ、と思っていたからです。
師匠が「じゃあ今日からお前にソロを教えよう」と言わない限り、教われるものだとは思っていなかったのです。

ピアノでもヴァイオリンでも(両方習ったことありませんが)、お茶でもお花でも(両方習ったことあります)、基礎があって、それぞれに段階があって、そのそれぞれに師匠が「よし」を出さない限り、次の段階へ進めない。それが普通だと思っていたのです。だから自分から「ソロをおしえて欲しい」とは言いませんでしたし、そう思いもしませんでした。「揺るぎない伴奏」ができているとは到底思えなかったからです。

それで結局「ソロフレーズまでたどり着け」なかったんですね。
いまだに伴奏は揺らいでいて、クラスの参加者のみなさんにはご迷惑をおかけしています。

ところで、もちろん、クラスではその日のうちに伴奏からソロフレーズへと移ります。
このペースについて行ける参加者のみなさんは本当にすばらしいと感心します。

さらにもちろん、全くの初心者が参加してこのペースについて行けなかったとしても、それは全然あたりまえで、その場合にはある程度安定するまで伴奏を続ける、という方法がとられます。

「カソンケ・ドゥンドゥンは難しいから(はじめるのをためらう)」と言われるのをよく耳にします。
確かに難しいです。でもそれには「あらゆる芸事が難しいのと同様に」という枕詞がつきます。

ダラマンがよく言うのは「やる気さえあれば、どんな楽器でもいつかはできるようになる。ただしよく練習すること。そしてあせらないこと」。

私がダラマンの太鼓のクラスを「ワークショップ」と言わずにあえて「クラス」と言っているのは、この集まりがただ単に「一緒にたたいて楽しみましょう」ではない、と思っているからです。
もちろん「一緒にたたいて楽しむ」も含まれていますが、彼と過ごす時間の中には「学び取れる何か」が必ずある。それは必ずしも言葉にできる「何か」ではない場合も多いのです。

なんだか長くなってしまったので、一旦ここで切ることにします。。。

(文責:ジャバテミネコ)
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2007年4月7日、3か月ぶりのクラス開催だったので、参加者が集まるかどうか心配でしたが、その心配は杞憂に終わりました。

もう一つ心配していたのが、娘のこと。
3か月前までは、ぐずったり眠ったりしながら、合計4時間ほど、なんとかがんぱってくれていたのですが、ここ3か月の変化を見ると、難しいんじゃないかな、と…。

こちらの心配は適中しました。
なんといっても「イヤイヤ期」、そのうえに母親べったりが重なって…。
でもまあ、その割にはなんとかがんばってくれたほうかな?

ドゥンドゥンフォラの娘だからか、ドゥンドゥンクラスの方では比較的機嫌良く、ひとりで遊んでくれましたが、ジェンベのほうは…。参加者のみなさんにはご迷惑をおかけしました。

申し遅れましたが、私はダラマンのクラスで通訳兼コンゴニ叩きとしてアシスタントをしています。
1歳7か月の娘がおり、彼女も常に同席(?)しています。3か月のときからそうなので、カソンケドゥンドゥンのあの大きな音にもまったく驚きません。

と、子供のことばかり言っていてもしょうがないので、クラスのこと。

再開1回目、とにかく、開催できたことをうれしく思います。
なじみのみなさんのお顔を拝見できて、よかった。
(しかし、新しい人たちにも来て欲しい!んですけど…。まあどおにどおにですね)

ダラマンはドゥンドゥンフォラなので、ジェンベはどうなの?って思う方も多いだろうと思いますが、そういう方には一度来ていただきたいです。
本人に尋ねれば「ジェンベは『まあ、なんとか』」だと答えるでしょう。そして確かに、マリには彼よりすごいジェンベフォラがたくさんいるのも知っています。

でも彼の一流のドゥンドゥンソリストとしての才は、ジェンベにも生きています。中途半端なジェンベフォラではかなわないでしょう。
そして、ずっとそばで聴いているから分かるのですが、クラスを始めた当初に比べて、どんどんうまくなって来ているのは本当に驚きです。
素人の私が「うまくなってきている」と言うのもへんな話で、しかもどこがどう、とは言えないのですが、本人もその辺りは自覚していて、その変化を楽しんでもいるようです。

この事実から、芸事には終わりがないものだということを痛感しています。

素晴らしくもあり、恐ろしくもあるのが、芸の世界ですね。

(文責:ジャバテミネコ)
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