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10月28日のクラスの様子

10月28日は、ジェンベ2名、ドゥンドゥン1名(!)の、寂しいクラスとなりました。

けれども内容は充実していました。

ジェンベの曲はマラカ。
いつもは1回に3、4フレーズ学ぶことが多いのですが、今回は2つに留まりました。

「頭ではわかっても、体が言うことを聞かない」フレーズがあったため、集中的に長時間同じフレーズをたたき続けました。
「なぜ体が言うことを聞かないか」についても少し触れ、その克服を今後の課題としました。


ドゥンドゥンの曲はサンディア。
思いがけず「グルーヴ」の話になりました。

クロッシュの音数が多い部分で、どうしてももたってしまうことから、そのフレーズを集中的に解説+模範演奏→ゆっくりたたくとどうなるか/はやくたたくとどうなるか、などいろいろと試しながら、「難しさの本質」にせまる作業をしました。

参加者Nさんが抱いていた疑問は、グルーヴの理解が十分でなかったことからくるものだということが、その作業をすすめるうちに分かってきました。

そこで、ダラマンに少し踊ってもらいました(「自分は踊れない」といつも言うのですが)。
それによって、大分理解が進んだように見受けられました。

こんなとき私はとてもうれしくなります。
教える人と学ぶ人との間に入り、両者を仲介させてもらうことの醍醐味を、こんな時に感じます。

学ぶ人の抱えている問題は何なのかを、クラスの中での様子から推察し、いろんな角度から質問を重ねて徐々に浮き彫りにしていく。
そして、その問題を解決するにはどうしたらよいかを導き出すお手伝いをする。
難しいけれど、私自身がクラスに臨む際に常に課題としていることです。

これまで、この作業によって私自身も多くのことを学ばせていただきました。
こういうことがあるから、参加人数が少なくてもクラスを続けていこうと思えるのかもしれません。

Nさんにも話しましたが、クラスの最中にどこかで「ひっかかって」くれることが、学びを深いものにしてくれます。
この日Nさんが「ひっかかっ」た部分も、もしサラッと「まあ、なんとなく」できてしまっていたら、深い考察はなかったでしょう。

よく「あの人の太鼓はなまっている」という表現を聞きます。
私は「通」ではないので、そういうところまで聴き分けられるかどうか分かりませんが、今日の体験で感じたことがありました。

叩き手個人の「なまり」というのも存在するのかもしれませんが、それ以前に、曲そのもののグルーヴを本当に理解しているかどうかという問題もあるような気がする、ということです。

例えば、叩き手個人の「なまり」だと思っていたものが、曲そのもののグルーヴを深く理解すれば、じつは「そう叩く以外にない」叩き方であると分かる、みたいな場合もあるような気がするのです。
そしてもちろんそこに、さらに微妙に叩き手個人の「なまり」ものっかってくる場合もあるでしょうが。。。

文字で説明するのは難しいですね。

分け入っても分け入っても泉のところへは辿り着けない。
深い深い森です。
太鼓は。

どこを分け入るか、どのように分け入るかは学び手次第です。
当然のことながら、私ではガイドは務まりません。
一緒に迷いましょう。
とりあえず水筒だけは持って行きますからご安心を。